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木曜日, 7月 22, 2010

パリ再開発などについて

フランス外務省発行




5/27/2010


岡田ジャパンは?

お先真っ暗・・・

魔の日、6月6日に、南ア入り・・・


3月3日は? お雛さま

4月4日は? お釜さま

5月5日は? お内裏さま

6月6日は? 魔の日


証拠)

羽生善治は、6月6日に、公立はこだて未来大学へ、入城

岡田ジャパンも、6月6日に、南アへ入場

トーキョーの魔人軍団が6月6日に、バリ島へ入村


どう考えても、不吉である、魔の日・・・




どうも変だな~~~、と感じていた・・・ - 三菱ガラス







証拠品は?

AUTHOR: AO
TITLE: 060606
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CATEGORY: ジョブ

DATE: 07/03/2006 08:16:26 AM
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060606は僕にとって不思議な日だった。公立はこだて未来大学で羽生名人が公開講座を開いた日でもあった。この大学、名前も聞いたことがなかった。昨日、下北沢で開催されたCultural Typhoon 2006で同大学のLehan Ramsay講師のプロジェクトにたまたま参加した。とても楽しいプロジェクトだった。

(あ洋介!)

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AUTHOR: あ洋介!
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DATE: 07/03/2006 09:45:53 AM
学長の中島秀之さんは、人工知能の研究をしていたときに縁があったひと。
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COMMENT:
AUTHOR: あ洋介!
EMAIL: ayosuke414@yahoo.co.jp
IP: 220.209.111.244
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DATE: 07/03/2006 10:48:05 AM
この流れで、アマゾンUKに本を注文した。
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AUTHOR: AO
TITLE: お疲れ!
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DATE: 07/04/2006 06:18:19 AM
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中田英寿:現役引退を表明 “新たな自分”探しの旅にと(Mainichi)


自身のホームページで引退を表明した中田英寿=森田剛史写す


ドイツW杯1次リーグの日本対ブラジル戦終了後、サポーターの声援に応える中田英=ドイツ・ドルトムントW杯競技場で2006年6月22日、竹内幹写す サッカー日本代表MFの中田英寿選手(29)=イングランド・ボルトン=が3日、現役引退を表明した。自身の公式ホームページ(HP)上で明らかにした。中田選手は「何か特別な出来事があったからではない。その理由もひとつではない」としつつ、「プロサッカーという旅から卒業し“新たな自分”探しの旅に出たい」と、引退理由について語った。


HPによると、中田選手は「半年ほど前からこのドイツワールドカップを最後に約10年間過ごしたプロサッカー界から引退しようと決めていた」と、日本代表が1次リーグで敗退したワールドカップ(W杯)ドイツ大会を最後に第一線から退く決意を固めていたという。中田選手の所属事務所・サニーサイドアップ(東京都渋谷区)は、W杯での日本代表敗退後に話し合って慰留したが、中田選手の意思は変わらなかった。


中田選手は「俺(おれ)の気持ちを分かってくれている“みんな”が、きっと次の代表、Jリーグ、そして日本サッカーの将来を支えてくれると信じている。だから俺は安心して旅立つことができる」と、サッカー関係者やファンへのメッセージをつづっている。


中田選手は山梨県出身。95年、韮崎高からベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)入り。98年W杯フランス大会後、イタリア1部・セリエAのペルージャに移籍。イタリア、イングランドで8季、6クラブでプレーした。W杯は98年大会から3大会連続出場。国際Aマッチ77試合で11ゴールを挙げている。


◇中田英選手のホームページから


“人生とは旅であり、旅とは人生である”


2006・7・3


~1985年12月1日-2006年6月22日~


俺(おれ)が「サッカー」という旅に出てからおよそ20年の月日が経った。8歳の冬、寒空のもと山梨のとある小学校の校庭の片隅からその旅は始まった。


あの頃(ころ)はボールを蹴ることに夢中になり、必死でゴールを決めることだけを目指した。そして、ひたすらゲームを楽しんだ。サッカーボールは常に傍(かたわ)らにあった。


この旅がこんなに長くなるとは俺自身思いも寄らなかった。山梨の県選抜から関東選抜、U-15、U-17、ユース、そしてJリーグの一員へ。その後、自分のサッカー人生の大半を占める欧州へ渡った。


五輪代表、日本代表へも招聘(へい)され世界中のあらゆる場所でいくつものゲームを戦った。


サッカーはどんなときも俺の心の中心にあった。サッカーは本当に多くのものを授けてくれた。喜び、悲しみ、友、そして試練を与えてくれた。


もちろん平穏で楽しいことだけだったわけではない。それ故に、与えられたことすべてが俺にとって素晴らしい“経験”となり、“糧”となり、自分を成長させてくれた。


半年ほど前からこのドイツワールドカップを最後に約10年間過ごしたプロサッカー界から引退しようと決めていた。


何か特別な出来事があったからではない。その理由もひとつではない。今言えることは、プロサッカーという旅から卒業し“新たな自分”探しの旅に出たい。そう思ったからだった。


サッカーは世界で最大のスポーツ。それだけに、多くのファンがいて、また多くのジャーナリストがいる。選手は多くの期待や注目を集め、そして勝利の為(ため)の責任を負う。時には、自分には何でも出来ると錯覚するほどの賞賛を浴び、時には、自分の存在価値を全て否定させられるような批判に苛(さいな)まれる。


プロになって以来、「サッカー、好きですか?」と問われても「好きだよ」とは素直に言えない自分がいた。責任を負って戦うことの尊さに、大きな感動を覚えながらも子供のころに持っていたボールに対する瑞々(みずみず)しい感情は失われていった。


けれど、プロとして最後のゲームになった6月22日のブラジル戦の後、サッカーを愛して止まない自分が確かにいることが分かった。自分でも予想していなかったほどに、心の底からこみ上げてきた大きな感情。


それは、傷つけないようにと胸の奥に押し込めてきたサッカーへの思い。厚い壁を築くようにして守ってきた気持ちだった。


これまでは、周りのいろんな状況からそれを守る為、ある時はまるで感情が無いかのように無機的に、またある時には敢えて無愛想に振る舞った。しかし最後の最後、俺の心に存在した壁は崩れすべてが一気に溢(あふ)れ出した。


ブラジル戦の後、最後の芝生の感触を心に刻みつつ込み上げてきた気持ちを落ち着かせたのだが、最後にスタンドのサポーターへ挨拶(あいさつ)をした時、もう一度その感情が噴き上がってきた。


そして、思った。


どこの国のどんなスタジアムにもやってきて声を嗄(か)らし全身全霊で応援してくれたファン--。世界各国のどのピッチにいても聞こえてきた「NAKATA」の声援--。本当にみんながいたからこそ、10年もの長い旅を続けてこられたんだ、と……。


サッカーという旅のなかでも「日本代表」は、俺にとって特別な場所だった。


最後となるドイツでの戦いの中では、選手たち、スタッフ、そしてファンのみんなに「俺は一体何を伝えられることが出来るのだろうか」、それだけを考えてプレーしてきた。


俺は今大会、日本代表の可能性はかなり大きいものと感じていた。今の日本代表選手個人の技術レベルは本当に高く、その上スピードもある。ただひとつ残念だったのは、自分たちの実力を100%出す術(すべ)を知らなかったこと。それにどうにか気づいてもらおうと俺なりに4年間やってきた。時には励まし、時には怒鳴り、時には相手を怒らせてしまったこともあった。だが、メンバーには最後まで上手に伝えることは出来なかった。


ワールドカップがこのような結果に終わってしまい、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。俺がこれまでサッカーを通じてみんなに何を見せられたのか、何を感じさせられたのか、この大会の後にいろいろと考えた。正直、俺が少しでも何かを伝えることが出来たのか……ちょっと自信がなかった。


けれどみんなからのmail(メール)をすべて読んで、俺が伝えたかった何か、日本代表に必要だと思った何か、それをたくさんの人が理解してくれたんだと知った。それが分かった今、プロになってからの俺の“姿勢”は間違っていなかったと自信を持って言える。


何も伝えられないまま代表そしてサッカーから離れる、というのはとても辛いことだと感じていた。しかし、俺の気持ちを分かってくれている“みんな”がきっと次の代表、Jリーグ、そして日本サッカーの将来を支えてくれると信じている。


だから今、俺は、安心して旅立つことができる。


最後にこれだけは伝えたい。


これまで抱き続けてきた“誇り”は、これからも俺の人生の基盤になるだろうし、自信になると思う。でもこれは、みんなからの“声”があったからこそ守ることが出来たものだと思う。


みんなの声を胸に、誇りを失わずに生きていく。


そう思えればこそ、この先の新たな旅でどんな困難なことがあろうと乗り越えていけると信じられる。


新しい旅はこれから始まる。


今後、プロの選手としてピッチに立つことはないけれどサッカーをやめることは絶対にないだろう。旅先の路地で、草むらで、小さなグラウンドで、誰かと言葉を交わす代わりにボールを蹴るだろう。子供の頃の瑞々しい気持ちを持って--。


これまで一緒にプレーしてきたすべての選手、関わってきてくれたすべての人々、そして最後まで信じ応援し続けてきてくれたみんなに、心の底から一言を。


“ありがとう”


ひで


(ホームページから原文のまま)
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7/19/2009


闇金システム

鬼が島の闇金システムと手を切った。

つまり、この国と手を切ったということ。

お得意の言葉で・・・

「粛々」と進めます。何のことやら、意味不明・・・

本質は?

おてもやん・・・ 責任不在、判断不在、村人社会に過ぎない・・・ 上から下まで・・・

まるで、フラクタル・・・


おそらく、この国は自滅する。

意味不明だから・・・

みなさん、せいぜいがんばって、泥舟をこいでください。

お騒がせしました。僕はすでに外野です。蚊帳の外・・・

でわ



参考)おてもやん

現代語訳

おてもやん あなた最近
結婚したんじゃないの
結婚したことはしたんだけど
だんな様が不細工だから
まだ披露宴はしていないの
村の役人、世話人、仲人
あの人たちがいらっしゃるんだから
後はどうにかなるんじゃない?


スジを通さないで、道を造ろうとすることを、グローバルでは、「無謀」と呼びます。

近辺が国土交通省所管の道路用地になっていました。

説明会にて、細かい話の前に、「京都議定書」との関係は?

それだけ、主張して、さようなら。

なんでも、録音してあるらしいので、証拠は残っているはず・・・


参考資料)

東京都第二建設事務所 御中



東京のみちづくり

都市計画道路ができるまで



説明会とこの資料を見て感じたことや考えたことです。



実際に、補助26号が通ると考えられる場所を歩きました(大山の交差点から三宿の交差点まで)。



1.問題点

小型車も通れないような箇所に住宅がある(東大横?)。火災や震災が起きた場合など、とても危険。



児童公園がある。いつも子供が遊んでいる。道路になったら子供はどこで遊ぶのか?



2.不明点や要望

60年も前の計画が何故、今頃実施されるのか、理由が不明。



60年前と現時点では、世の中の状況が大きく変っている。60年前にそこまで予測して計画したとは思われない。60年前の計画を現時点に適用する妥当性が不明。



道路完成時の一日あたりの予測通行量。および予測の根拠。



移転する住人や店などの経営者には、何らかの具体的な移転案のモデルケースを提示する。例えば、国立小児病院の跡地に建つ集合住宅へ移転、、、など。





3.全体的に感じること

お役所仕事という感じが否めない。道路部門、住宅部門、、、横の繋がりはどうなっているのか? セクショナリズムが横行していないか? ばらばらでは役に立ちません。町は全体で機能します。



4.パリなどの都市再開発計画を参考にして欲しい

海外視察するなら、適切な人数で適切な調査をすべき。お役人や議員さんの無駄な視察旅行が多かった(以前の話ですが、今はわからない)。



参考までにパリの都市再開発計画の資料(LABEL FRANCE 第52号 躍動する都 パリ フランス外務省発行)を見て、気づいた点を抜粋します。



この資料に全体の再開発の概要が出ています。東京についてのこのような資料はあるのだろうか? あれば見たいです。



この中で、特に感じた点です。



自動車を減らす計画が出ています。参考にしてもらいたい。



金持ちが集まりすぎると、町の活気が落ちる。金持ちの居住エリアに、低所得者用の集合住宅を建設して、町の活気を取り戻す。参考にしてもらいたい。例えばこういう住宅の候補として国立小児病院の跡地などを検討する。



フランスのお役所はこういう魅力的な計画をビジュアル化して具体的に示せます。魅力的でぜひパリに行きたいと感じました。フランスのお役人にできて、日本のお役人にできないはずは無いと思います。ぜひ、東京に行ってみたいというような資料を作って欲しい。





平成18年7月10日



世田谷区池尻

青柳洋介



参考資料)



世田谷区 街づくり課 鈴木、笠原さん Tel 5478-8031 2005/10/25



1.道路の全体図、交通量の予測を知りたい(住民として)



以下は、利用者としての要望です。

2.利用している店などについて知りたい

3.54号に路線バスが走る? 府中~渋谷間

4.イメージ図を具体化して欲しい(下北沢らしさも加えて欲しい)

5.具体的・積極的な情報公開をして欲しい

● 具体的な議論・意見交換ができる

● 立ち退く住民、権利者、店子などがうらみこなしがベスト

● 個別の対応が必要。特に、弱い立場の人のことをきちんと考えてほしい





世田谷区池尻

青柳洋介


以上をもって、日本を遺棄します。


日本の上層部へ

ローマクラブがリスクの可能性を70年代に指摘していました。

放置していたツケが出ただけなのでは?


木曜日, 6月 11, 2009

グローバルの流れ
ローマクラブは1970年に設立された。

1970(ローマクラブ) < - > 2010(京都議定書) < - > 2050(アートハーバーの目標)

40年間                 40年間

このような見方をすると面白いのかも?

このシンメトリーは興味深い・・・



ローマクラブはグローバルのリスク・マネジメント機能・・・



ローマクラブの提言が無視されて、40年。今がまさしく転換期だろう・・・

よって、これから、40年間は新たな未来を創生するトキ・・・

トキは逆行しない。





9/01/2008


Paris

芸術の都、花の都、自由の都、Paris

光と陰を表現する街・・・ パリ

『眼球譚』『エロスの涙』 ジョルジュ・バタイユ

『居酒屋』『ナナ』 ゾラ

『大胯びらき』 ジャン・コクトー

『悪の華』 ボードレール

『ヴェルレーヌ詩集』 ヴェルレーヌ

タイトルを見ただけで、デカダン、退廃の香りが漂う・・・

Aoyagi YoSuKe

P.S.

パリ再開発のフランス外務省発行の

「LABEL FRANCE 躍動する都 パリ」

お役人さんが作ったとは思えないほど、ハイセンスな資料です・・・

さすが、パリ・・・ この資料を見て、パリに行きたくなった・・・

例(一部抜粋):

国際都市の素顔

パリの多様な社会を構成するもうひとつの要素は「外国人」である。中でも多いのはアフリカ出身者、アルジェリア人、チュニジア人である・・・

さまざまな民族や宗教の人たちが調和的に共存する地域・・・

・・・

「ブルジョワ化」する傾向にあるパリから低所得者層が離れるのを防ぎ、多様な社会構造を保持していくため、パリ市は住宅の供給を増やすと同時に、それをバランスよく配分するよう努めている・・・

・・・

これらの街では"ボボ"(ブルジョワ・ボヘミアン)と呼ばれる若者たちの出現に伴って、流行の店や若いアーティストのアトリエが次々と誕生している・・・

・・・

この場所は、ホモセクシュアルの人びとが集う場としてよみがえったのである・・・ 今や最もおしゃれな場所となり、最先端の音楽やモードで溢れている。虹色の旗(同性愛者のシンボル)を掲げたバーやレストランには連日、大勢の人が詰めかけ、歴史を感じる裏通りにも人足が絶えることはない・・・

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お役所が作った資料、なおかつ、フランス外務省の公式資料ですが・・・



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